2012年11月アーカイブ

2012年11月24日

どっちがいい? 枯れてからか、光沢のままか


落葉については有名な詩がある
ポール・ヴェルレーヌ作
「秋の歌」

秋の日の ギオロンの ためいきの
ひたぶに 身にしみて うら悲し

(後略)

・・・

春夏と愛でてくれた庭の樹木は
秋を迎えた

様々な庭木は
2月にお袋がこの世を去っても
家族の愛を
四季折々の景色に映らせては
心を癒してくれた

法事を迎える前に
気持ちを落ち着かせようと

毎朝庭に出ては
竹ぼうきで落ち葉を樹木の根元に戻すとき

惜別から偲ぶ季節に移る
長き一年間を回顧してしまう

落ち葉の色変わり、散り舞う姿に
家族の思い出を重ねては
偲ぶ

今年の秋は
そんな特別な季節でもある

・・・

20121124ochiba.jpg手前の樹木は、ナツメの木である

50cm丈の苗木を量販店から買ってきて植えていた

1,2年はほとんど丈が伸びず
葉っぱもつかず仕舞だった
思い切って捨てようか
と思うほどだった

去年やっと
1mほどになったが
それでも期待薄のままだった

・・・

ところが
たちまち伸びはじめだしたのが
今年の春と夏だ

密集した葉っぱで
頭でっかちになって倒木の怖れが出たため
細すぎる幹を支柱で
支えなくてはならないほど高くなったのだ

光沢のある小さな葉っぱが
所狭しと互生し合い
満艦飾もどきに立派に育った

庭木の中では、いつも光り輝く小さな葉をちらつかせ
3m近くの丈に育った

・・・

秋になり
周りの樹木が落葉しているのに
いまだ頑張っている
ナツメの木の葉っぱ

一方
左奥に見えるの柿の木の葉は
緑から茶色になってから
やっと落葉した

ところが
ナツメは違う

光沢の葉っぱのまま落葉する

庭の地面を
緑色に染めているではないか

・・・

人生どっちの方がいいのかなぁ
なんて

我しばしたたずむ
そんな年になっていることに
気が付く

そんな秋

収穫そして回顧の時を刻む

・・・


2012年11月16日

庭の草刈り きれいさっぱり

今年は色々あったので
すっかり自分でやる暇がなかった

そこで
自治体のシルバー人材センターに
草刈りを依頼していた

本日三人来て
8:30-15:15までかかって庭や裏など草刈りが終わった

20121116kusakariniwa.jpg
この一区画は
50cmほど伸びていた茂みとなってしまい
地面はまったく見えなくなり
足の踏み場すらなかった

・・・

そこが、こんなにきれいになってしまった


夏から残っていた蚊も住むところが無くなり
どこかに飛んで行った


あたかも
新しい土地に帰ったような風景に変わった

庭の風景も変わってしまい
新興住宅地の庭みたいに様変わりした

塀際の下の方もしっかり見えるし
手前にあった庭石もかちゃんと見えるようになり
奥行きを感じるほどだ

すっかり
庭が元通りになった

我が家の庭って、こんなに広かったのか!?

・・・



政治空白 虚ろな街の様子


10日過ぎから朝晩冷え込み始めた

11月半ばの街の様子
X'mas商戦も始まっていた


20121115xmasdeco.jpgデパートでは、飾りが、師走モードだ

「近いうちに」
今年の流行語になるだろう

16日解散となった

慌ただしい暮れの瀬に、日本が政治空白になるとは
国民の生活には
ほとほと困った出来事である

・・・



2012年11月11日

CATV  多彩満載ホームシアター


1969年29歳一ヶ月間
米国出張で訪れた
西海岸=中西部=東部=南部=西海岸

日本からアポを取っておいたユニバーサルスタジオなど
放送局の技術部門を見学していた

1969univstudio.jpg
この時
CATVケーブルテレビを初めて見て知ることに

HBOがすでに開局を準備中だった
RCA社の通信衛星を利用していた多チャンネル放送だ

HBO(Home Box Office)
1972年から放送開始

・・・

それが
半世紀前の話だ

当然自分は日本では、そんなことこと
まったく知らなかった

そんなに多くの番組があって
一体だれが見るのだろうか
そんな暇人は居ないのじゃないか

自分が働いているから
そんな時間は無いと
思った


****************


ところが
半世紀後の今
日本のCATVは成熟している

そして
今の自分はどうだろう
CATVの恩恵を受けているではないか

・・・

2002年
回顧の旅と称し
自分の足跡をたどる旅に出た

米国本土、カナダ、ハワイ

久し振りにハワイの親戚を訪れた際の会話

「韓国映画にはいいのがあるね」
そう話していた

日本では韓国映画はまだ普及していなかったから
何のことだったか?
意味が分からなかった


****************


やがて
その意味が分かることに

近年
隠遁生活に入ってから
大型テレビの環境を整備して来た

ブログで紹介してあるが
CATV会社のレンタル品
パナソニック
ブルーレイ録画再生機付高性能端末機(STボックス)
のおかげで
劇的に我が家の鑑賞の幅が広がった

・・・

日本映画、欧米の映画、韓国映画
自由に見れるように
なってからである

やっと
CATVを享受し楽しんでいる


****************


2002年ハワイの親せき宅で話題がでた
韓流映画

日本で放送された宮廷ものは
自分はテンポが鈍いから
見ない

戦国史物の方が面白い

ただ戦闘場面が日本映画と違い
少々殺伐、どぎつい描写だから
かみさんは目を背ける

・・・

朱蒙(81話)MBC 2006年放映
風の国(36話)KBS 2008年放映
善徳女王(62話)MBC 2009年放映

20121112kanryumoyo.jpg時代劇模様


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1988年
ソウルオリンピックの二年前

プレオリンピックがあった
1986年

ソウルのKBSを手伝ったことがあった

オリンピック開催は
国の技術革新が出来る

東京オリンピックの前
NECで国産初のVTR開発のグループで働いた時
その思いを思い出した

韓国の人々の熱意が
痛いほど判ったのだ

・・・

その後
韓国はハリウッド映画誘致などを通じて
国の映画製作の技術を蓄えてきた
そして大きな雇用を生んだ

日本ではその手のやり方をやっていない
勿体ない気がする

それと同じことが今チェコでも起きている
国が映画産業を振興している
これも雇用対策である

・・・

映画を楽しむのはいい
その背景なども、時折、目を向けてみると面白い


****************


29歳1969年アメリカが月面に人間を送った年
ユニバーサルスタジオ見学し
ディズニーと同じく
いまも産業として継続しているその底力は
ものすごさを感じる

日本の産業振興にも
参考になる話だが
なぜかなかなかそういふ形で成功した事例が
生まれてこない

ハードは強くてもソフトが弱いのかもしれない

・・・

自分は放送機器分野で20年余り働いた

例えば珈琲など濃くのある映像を
必要とするテレビコマーシャルCMを制作する時は
色の深みの記録量が多いフィルムで撮影したあと
デジカル処理する際には
特別な装置テレシネを使う

ベンチャー企業勤務時代
英国の放送機器の国内総代理店権を取得したから
米国・英国・日本の放送機器展の展示会に説明員で参加できた

20121111ibctelecine.jpgこれは英国の南部避暑地で有名なブライトンでの
IBC(国際放送機器展)
供給元の英国企業の機器展示小間である

・・・

こうして自分が歩んできた過去を思い出しながら
CATVで映画など鑑賞できるのは
幸せなのかもしれない

・・・


2012年11月10日

楽しかった 2万歩あるきゴルフ

深秋の候となり清々しい毎日が続き心地がいい

2000年60歳定年退職で深秋から帰郷した理由は
両親の面倒を見ることであった

再就職を繰り返しながら
シニアゴルフを楽しんでいた

ツアープロとのラウンドレッスンなど、一通り教えてはもらった
運動神経が良い方ではないけど
ゴルフは楽しむべきだと
教えてもらった

http://www.vivo-honda.jp/

この最初創った自分のWebサイトには
シニアライフのあり方過ごし方を模索しようとする時だったので
その一つとして、ゴルフをテーマに取り上げ
2004-2008年までのシニアゴルフの記録をUPしていた



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そして
回顧と日記を兼ねて
このVIVO Senior Life Diary ブログ

スタートしたのが2010年から

その前から
富士山麓1000m鳴沢ゴルフ倶楽部で
2万歩あるきゴルフ
健康維持のために
すでにスタートしていた

・・・

しかし
今年の4月13日を最後に
富士山ゴルフは
控えて来ていたのである

今年たった一度だけコースを回っただけに終わった

プラス会員という特別待遇が消化すべき
回数は未達となり
年会費、食事優待券などは無駄になったまま
ゴルフクラブを握ることなく
この秋を迎えているのである

・・・

実は
すでに早い時期に
ゴルフを辞めていたのであった

きょうは、ここで、
その経緯を、告白している次第

・・・

自分の生涯でも
今年は
特別な大きな変化があった年になった

2月にお袋が亡くなった
そのショックは想像したよりも大きかった

それを引きずったまま、そのあとも
両親の持ち物の整理などや残務処理に追われっぱなしの
忙しい一年となった

・・・

実は、富士山千m高地2万歩あるきゴルフは
我が家にとっては
特別な意味を持つ存在だった

「あんな遠くまでよく行くわねぇ~!?」
と、いうお袋に

「天に最も近い日本一の富士山だよ。」
「千m高地で2万歩あるくゴルフを元気に楽しんでいるんだよ」
「まだまだ長生きしてくださいよ」


息子が、両親を元気づける、鼓舞したい
そんな目的があったのである

ならば
朝5時起きはなんでもなかった

・・・

親父は2007年、お袋は2012年
共に94歳

二人とも
亡くなる寸前までちゃんと歩き
家族と一緒に住んで
和気あいあいと元気に楽しく過ごし
長寿の人生を全う出来てから
天に逝った

自分はその目的を達成したぞ!
という満足感に浸った

・・・

お袋が亡くなってから、あらためて、思った

富士山ゴルフは
今年がそろそろ退け時だな

判断していた

それでも試してみた

49日法要のあと
4/13富士山に出かけた

だけど
なんだか空しい
ことに
気がついた

それ以来この8か月間
エントリーしては、また、取り消したり

迷いが続いていた

・・・

いま『体育の秋』が来ている中
落ち葉が散る風景を眺めながら
回想にふける

来年2月は厳寒時だからと
12月に前倒しで執り行う
親父の七回忌とお袋の一周忌
との準備を始めた

法事出欠往復はがき作成や、喪中はがき文面の作成をやる
仕事の合間に
ふと

ここに
「今年はゴルフを辞めていた」

告白・公開するに至った
のである



。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜



振り返れば
自分が、こうしたいと、描き、やってみたかった
シニアゴルフ

たぶん自分が理想としたものに近い形で
終わったに違いない

満足感は
イコール達成感でもある

・・・

上のWebにあるようにき
おさらいレッスン

思い出にしたいと、近郊の名門コースめぐり
とを
2004からやってきた

引き続き
コースを乗用カートなしで歩ける理由から
この富士山あるきゴルフを
ホームコースとし
2012.4まで大いに楽しんだ

・・・

トータル
2004-2011 8年間 集中したシニアゴルフ

楽しんだことになる

・・・

富士山ゴルフ始めたとき
一人で来場する
私を見て
優しいキャディーさん達が
慰めてくれた

「そのうちお友達がたくさんできるわよ」

一方
自分の方は違う考え方だった

2009年から隠遁生活に入っていたから
敢えて、特別に
他のゴルファーの諸兄に
こちらから進んで
親しくなる言動は控えようとしていた

隠遁生活に入ったんだから
気楽に一人ゴルフをしたかったからだ

わざわざお声をかけて
一緒にやりませんか?

仲間入りすることは
あえて
隠遁生活では控える
ことにしていた

もしかして
気楽な一人だけマイペースゴルフを楽しんでいる
そんな様子には
変わった人?

見られていたかも知れない

・・・

キャディーさんや倶楽部のスタッフの皆さんが
よくしてくれるから
おかげさまで寂しくはなかった

だからキャディーさん、スタッフの皆さん
には
「私のリハビリ施設だから、よろしくお願いします!」

こちらから、いつも
感謝の気持ちを持ちながら、親しくさせていただいた

私の方としては
皆さんと家族付き合いさせていただいたと
いい思い出が作れたことが
一番の宝物です

・・・

なのに
多くのゴルファー諸兄が
私に好意的に応対して下さった点
とても嬉しかった

もちろん
鳴沢ゴルフ倶楽部のスタッフの皆さんも
気軽に・丁寧に・親切に私に接していただき
嬉しくありがたく感じ楽しかった

なによりも
素晴らしいコースを自分の足の裏で踏みしめながら歩き
すがすがしい森林浴を楽むことが出来た

・・・

お世話になった多くの人々に、心から感謝の念を捧げたい

・・・

本当にお世話になりました
これまでいろいろと、ありがとうございました

皆様のいつまでもご健勝であられんこと
心からお祈りしています

山の部、健脚リハビリ施設の体験は
一生忘れません


****************

エピソード

ゴルフは辞めたが、捨てた訳じゃない

大好きなゴルフ
道具は
まだ処分してはいない

・・・

その証拠に
我が家の近くに
ふらり一人で参加出来るゴルフコースを探し
ちゃんと
2ヵ所見つけ確保してはある

いつかそこらで
遊んでいるかもしれない

あるいは
また
ふらりと
シニアライフの思い出が詰まった
富士山の鳴沢ゴルフ倶楽部を訪れる
こともあろう

・・・

しかし
一応「ゴルフは辞める」と家族に宣言してしまった
そして
ゴルフプレーのための貯金は
家族のためにと
パナソニック電動自転車に、化けてしまったのである

・・・

テレビのゴルフ番組から目を逸らしつつ
チャンネルを変えている私の様子を横目で見ていた
かみさん

「近くでやれるコースみつけてあるんでしょ」
「また、やれるわよ」
「ううん、ゴルフ積立金が電動自転車に化けて無くなっているだろ」
「だから、もういいよ・・・」

下うつむき加減で、つぶやいておりまする

・・・

10時、15時のお茶の時間に
キッチンの丸テーブルに家族が集うのが
我が家の習慣である

テレビのゴルフネットワーク番組をかけていた
「ここはゴルフバーだ」
私がそう宣言していた

バックグラウンドミュージックのように流していた
ゴルフの試合画面を見て
お袋いわく

「あら、コースって!こんなに広くてー、緑がきれいなのー?」
「きっと、気持ちがいいでしょうね?」
といつも私に尋ねていた

その反面
「あんな小さな穴にボールを入れるだけでしょ」
「どこが一体面白いんでしょうね」

かってお袋がコメントしたことを
いま、自分も
口に出している
(笑い)

名残惜しいからだ

辞めたと決めた当時は
色々複雑な気持ちの葛藤が続いたこともあった

・・・

これからは
家族と一緒に過ごす時間を多くとりたい

残りの人生は
家族に
感謝する時間でもある



。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜


お世話になった皆々様への感謝に代えて
この一枚に思い出をまとめて
ここに掲載しました

20121110ngcthanks.jpgゴルフ場は新車撮影にもってこいだ
クラブハウスの外に置いてあった赤いブジョー
ランチのあとホールに向かう途中
パチリ!

・・・

隠居したら赤いスポーツカーに乗る

若い頃から決めていたから
定年退職の送別会でもそうみんなに述べたほどだ

しかし、現実は厳しい
「真っ赤なんて、近所様に、見っとも無いわよ!」

かみさんの反対に遭い
いまだ
実現していない

ま、夢が残っているうちが花かも


・・・


decome_thks.gif


2012年11月 8日

WiFi高速化 11n無線LAN端末

有線LAMがGiga時代に入ってから次に
無線LANが高速化している

長年使用してきた無線LAN端末器の規格g/bから
最新の11n規格対応端末器に
今回更新したいと
適当な製品を探してみたところ

メーカー修理品だから
格安でゲットできた

・・・

アンテナは、2本から三本に増えて
出力もハイパワー化していた

有線GigaLANと同じくらい
サクサクと動き始めた!


20121108wifichange03.jpg下の台は壁に取り付ける時の受け皿にもなる
部品が小型化しているから
スマートになった
20121108wifichange01.jpg昔から比べると機能満載であり
なによりも
セッティングが簡単に出来るようになった

20121108wifichange02.jpg背景

2000年定年退職60歳帰郷してから
再就職を繰り返し
68歳まで現役で働いていた期間中

我が家の書斎
SOHO(Smale Office Home Office)

パソコン各種、有線/無線LAN、プリンタ/FAX/スキャナー
などなど
一般用から少しハイグレードSOHO用IT装備を有し
中古や少し前のモデルで更新して来ている

現在の
我が家の無線LAN規格11n対応機種
沢山ある

iPad2、iPhone5
hp Workstation Note 8730w
hp mini 1000 (w/mini usb wifi adapter)

このWiFi無線端末器には
各種セキュリティーキー設定がしっかりしており
すこぶる安全である

屋内の各室どこでもいつでも
高速でインターネットを閲覧できるようになった

これにて
有線LAN、無線LANの整備完了



。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜。


hp mini 1000 も 
追加グレードアップが完了した

・・・

【hp mini 1000 with WiFi & Large Battery】

20121108wifichange04.jpg写真左側
USBに挿入できる、11n対応WiFi Adapter
超小型なので装着したまま携行可能

写真中央
底に見える出っ張り部品

標準3セルから交換した
6セルリチュウムバッテリパック

hp OEM製品と成形形状が同じで
中国から送付されたから同じ工場製品だろう

もちろん
電池セル数が倍になった分
格段に持続時間が延びた



。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜。



毎年こうして、コストをかけないで
SOHO設備を更新している

これにて2012夏から秋のグレードアップは
ひとまず完了とする

・・・

次回の楽しみは

12/15からSoftBankがサービスを開始する
デザリング

それからはSOHO屋内だけのITではなく
外出先で大変化が起きる

携行する先々で、携帯電話 iPhone5が
WiFi端末器に
様変わりしてくれる

移動機器
iPad2、hp mini 1000、hp Workstation Note 8730w
などが
外出先いつどこでも自由に
WiFi使えるようになる

つまり
いつどこでもインターネットが閲覧できるようになる

自分のシニア・スマホ・ライフが劇的に進化する

・・・

年金生活者シニアでも
格安中古品や少し前のモデルを集めることで
トータル的に適正なセッティングしさえできれば
最先端の楽しみを味わえるようになる

・・・


2012年11月 4日

秋作収穫 夕陽は心地よし


70歳から伸ばした髭
三年間試用が終わったから剃ってしまった
10/28ブログでそう紹介してある

・・・

赤いルイガノのマウンテンバイクで
農園に出かけた

最近は膝の周りの筋力がアップしたからか
マウンテンバイク漕いでも調子がいい

農園主とおばあちゃんには
すっぴん顔でご挨拶

・・・

小松菜を収穫しそのあと小松菜の種をまた撒いた
ブロッコリーはもう少し待つ

今年はホウレンソウがあまり伸びない
農園主の話では
雨で土が塊過ぎたのが原因とのこと

ニンジンは去年に比べると格段にいい
農学校(体験農園)の生徒の中を比べてみると
植え付けの時期如何で作物の生育度が違う

植え付け時の天候などが
微妙に作付けに作用するからだ

・・・

かえりに
山芋とハヤトウリとを頂戴した

ハヤトウリ(隼人瓜)は
熱帯アメリカ原産ウリ科の植物、その果実で、食べれる。

20121104hayatouri.jpg農園に中の道具置場のビニールハウス
両脇に四個ずつ植えた隼人瓜
こんなに茂ってしまい
毎年農家のかご15個も収穫できるとのこと

・・・

晩秋の午後の日差し
秋のすがすがしさを感じ心地よかった

・・・

帰路
いつものJR線路の下の地下道を通った

20121104chikado.jpgハロウイーン収穫祭
今年は自分もいろいろなジャンルで
収穫の多かった年になって
とても嬉しく思う

・・・


北国移住経験 冬の震撼いま懐かしや 

ブログのテーマとしては季節的に少し早いが冬の話題を取り上げたい。

今回ゲットした hp mini 1000 ノートPCは北海道苫小牧市の前オーナーから届いたから、おのずと、北国にかって住んだことを懐かしく思い出した。以下、50歳前から定年退職まで住んだ松本平での体験である。


★プレローグ(序章)

40歳後半再就職し一人信州に移住しアパート独り暮らしを始めた。まだ北アルプスに雪が残っていた5月から勤務開始し、その年には、託された新規事業アイテムを担いで全国市場開拓の行脚を続けていて、冬長期出張から帰宅したら、なんだかアパートの様子がおかしい。

すると赤ちゃん背負った隣の若いおくさんが恐る恐る深刻そうな顔を覗かせながら、
「あの~、破裂したんですよぉ・・・。」
なんだか言いにくそうに申し訳なさそうなご挨拶・・・だ。

「うっ!?」
何のことかまったくピンと来ない。
「えっ!?どうしたんですか?」
この私の反応に、さすが、その奥さん、驚いた!

「水抜き~、しなかったんですよねぇー!」
「えっ?えっ?」
何のことかさっぱり判らん!
狐に包まれた(意外な事件が起こって何が何だかわからず、ぽかんとする)とは、こんな時のことをいうのだろう。

そのあと、その奥さん丁寧に、かくかくしかじか、と説明をしてくれた。
やっと
「へえ~??そういうことなの??」
とまだ流れはチンプンカンプンのままだから、
「で、ど・どうしたらいいの?」
と逆質問する始末。

色々解説してもらい、状況を理解するよりは、まず何をすべきを掴むことにした。
大屋さんに電話し業者が修理に来るということになった。

翌日会社でその話を披露したら、周りはにやにや笑っている。
誰かが「十何万円も取られるぞ!」とからかう。
「(自分たちが知っていても東京人は知らないこともあるのに・・・。笑うなんて、教えてくれればよかったのに!冷たいなあ~!?)」と、ちと、ふくれた。(笑い)。

結果、修理費用は、給湯器丸ごと取り替えではなくて、部品だけ交換の数万円で済んだ。
それにしても、勉強代としては高かった。


それからは、外出する際は必ず土地の人たちがやるようひ、給湯器の不凍栓を操作した。

挙句の果て、トイレの水ダメに車不凍液を入れたりしたが、これはやり過ぎだった。(笑い)

一年以内に作るとアドバルーンを上げて信州自宅を新築した時の設計は、土地の人は不凍栓と水洗器具(温水管夫々に水抜きネジ)はやるが、トイレ(水貯め部に熱線ヒーター組込)、ユニット風呂も、寒冷地仕様をとするほど、神経質になっていた。松本平では寒冷地仕様指定の建築部材を使わない。

北アルプスを越えてフェーン現象で雪が降らない土地は、日本一晴天日が多い。その分寒さは格別だ。北海道と松本だけの戦前の軍の練兵場では耳宛が許されたといふ寒さ。マイナス15℃の塩尻で凍結地面が盛り上がりガス管破裂の事例があったと移住してすぐ耳にした。

西側松本平松本市650m、東側牛伏寺1000m(松本CCある)、我が家は松本平の東側の尾根の中間750mと少し高い土地、西道路だから、西に松本平、槍、常念岳、白馬が眺望できた。

自分の家の外でマイナス13℃といふ最低気温を体験したことがある。


水道管は外に露出されサーモスタット付電気ヒーター帯が巻いてある。
万が一電気が来なくて凍結し解凍時に体積が膨張し管を破裂させることがあったら外なら管を交換する作業がし易いからだ。管の立ち上げの地面には夫々の水道管ごとに不凍栓箱が設置、蓋をあけると、コックがある。

単身赴任だったから長期不在で出かける前には必ず、コックを空け、室内の水道栓を少しあけ、水を流しながら、屋外に出て、その立ち上げ水道管直下の不凍栓を操作すると、本水道は止水され、立ち上げ管の中の水はバイパスで下水に放出する仕組みだ。すると、不凍栓から上の立ち上げ管から蛇口までにあった水は流されて管内は空っぽになる。つまり、水が満たされていない水道管は凍結しないから安全という訳。


★震撼とさせられた体験とは。

前置きはそのくらいにして、要するに松本平は雪が降らない。長野から出張しに来た人が松本駅を降りてすぐ飛び込む店は靴屋さんといふ笑い話がある。長靴では雪のない街中を歩けないから普通の靴を買い替える訳。

しかし、年に1,2回ほど、雪が大量に降りそのうち土地の人はそれで帳尻が合うと言ったドカ雪もあった。

庭の外回りのフェンスが1m強だがその高さまで積もった。軒下は積もらないから雨樋の真下から手前に斜めになり基礎のところは地面が見えている。一晩で降ったからだ。ドカ雪はフワフワ。

ところが本来寒さの厳しい土地だから、油断していると雪がやんですぐ凍結し始める。雪が降った最初の冬は見ているだけで喜んでいたら強制労働の憂き目に遭った。慣れると、降っている夜中から雪かきをやる。翌朝も早く起きてシャベルで雪かきをせねばならない。玄関から道路まで7,8mほど、そして庭の軒したに通路確保。太陽が当たる場所に雪を移動する。移動するとどうしても固まるからそのままの方がいい場合がある。道路は前の日からすでに降り始めてから車で踏み固められているまま冷たい夜を迎えるから、あれよあれよと見ている内に凍結し始める。

最初の冬、これもまったく対処方法が判らなかった。自分の家の前の道路が見事に凍結したら大変だ。二年目の冬前にはつるはしを買っておいて10cm厚の氷板を突き壊すが、つるはしの尖がった刃が硬い氷に跳ね返りコツコツと崩していくしかない。今年の風呂場リフォームでお抱えの大工さんに東京では使わないからとプレゼントした。山の中腹だから家の前の道路は斜めになっていて、タクシーが前の家でお客を降ろしたら車体が軽くなってグリップ力が激減しスリップしたのを後ろから押し上げるのを手伝ったことがある。

南、西、北道路、北側まだ住民が移住しえなかったから雪かきは自分がやるしかない。慣れると降りはじめた時間帯から雪の中でひたすら夜も寝るまで雪かきし積雪量を減らしておく。翌朝は道路優先で雪かき。そこは新興住宅地だったから東京に似ていて近所付き合いなくプライバシーがあるのは良かった反面、他の部落が住民に召集をかけ一斉に全員で雪かきをやっていたのに比べると、いつまでも凍結した道路が残ったから不便した。


★さて、いよいよ、本題に入る。

ある冬のドカ雪で庭は1m余積雪と同じ様子、ところが、この年の冬は、尋常ではなかった。積雪のあと曇天が続いたのが悲劇の始まり。そして意外な事件は起きた。

2階に寝ていたら、ドカ~ンと爆弾が落ちたような音がし、引き続きバシャ~ン、ドタッ、家屋が揺れた。飛び起きて北側の窓を開けたらビックリ仰天。

真下を見た。家屋から一間ほど離れた位置に北側のアルミのフェンスがあったが、我が家のそのフェンス2間幅分ほどが北側道路に飛ばされて影形も無くなっていた!

北側道路も斜めに東から西に傾斜していて、目で道路を西の方になぞった。
すると、そこは東西道路とT字路になっていて西の広いお屋敷の垣根があって、その垣根の手前の電柱に幅一間ほど数十センチ角の白い大きな塊が見えた。

瞬時に事態を悟った。足がぶるぶる震えた!

信州だからと自分で設計しペンション風に作っていたから、45度の傾斜の急こう配の屋根だった。屋根に雪止め金具があったが、凍結した積雪を支えきれなかったのだ。

凍結した雪は、固まったまま二階上の屋根6mほどから滑り落ち、フェンスを突き飛ばし、(東から西方向に傾斜面だから)さらに2mほどの下の道路に落ち、そのままの形を維持したまま道路斜面を滑り出し、西の角の垣根のそばの電柱で止まった。

それほど屋根の積雪は凍結が早く芯まで硬くなっていた証拠だ。落下しフェンスと土手基礎のコンクリートにぶつかり、道路に落下したほどの衝撃を受けても、その凍結の塊は砕けずにあたかも石の塊のごとく単に移動しただけだったのだ。だから震撼した。

その訳は、昼間暖かくなり落ちたかもしれない。すると昼間だったなら、通行人を直撃したかもしれない!?否定できなかったから足の震え腰が抜けたまま呆然。

気を取戻しヤッケを分厚く着こんで懐中電灯持参で、凍結している東南辰巳の門から家の前の道路に出て坂を下り、西の道路の方に回った。

そのT字路には電柱があってその電柱のお蔭で凍結塊が止められ樹木の垣根を突き破ってその家の畑に飛び込まなかっただけ。

すぐ北側道路を登り始めて、落下した付近の雪の中から、破壊さればらばらになったフェンスの欠片をかき集めた。

もちろんこの時、始終上を見ていた。屋根の上の残りの凍結塊が落下する危険があったからだ。

とりあえずフェンスを集めて西から南側に上って来て、門から屋敷内に積み重ねた。

 【雪止めを新たに追加する前の建築当時の状態】
20121104yane1991.jpg

★エピローグ(終章)

そして翌日建築した業者に電話した。

「事故が起きた。雪止めが少ないのは、設計不足ではないか?」
そしたら返事が返ってきた。「フェンス修理、保険が効きますよ。」 慣れている??

結果フェンス修理が終わり、屋根の、雪止めも追加されたのである。

奇しくも、いま、この近所で新築が始まっている。
見渡すと、半分ほどしか、雪止めが付いていない。
雪止め部材は、取り寄せらしい。

今年屋根材の改修工事がある。
雪止めをつけとこうと思うこの頃である。


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